「スピ好き高学歴ダメ人間」が精神障害者を止めて前向きに生きる話

人生終盤ですが、希望を持って進んでいきます♪

初めて「自殺したい人の気持ち」がわかったような気がした日

「40代で発達障害っぽいなぁと気づいた話」で書きましたが、小中でいじめに遭ったり、母親との関係が悪かったりして、10代、20代は日常生活を時に楽しく送りつつも、厭世観にさいなまれてよく泣いていました。辛かったときに自殺を考えなかったのは、「どうせいつかは死ぬし、痛いのも怖いのも嫌だし、今後生きていれば、今までのマイナスを帳消しにするだけのプラスな出来事が起こる可能性がゼロとは言い切れない限り、そこに賭ける」というギャンブラー体質だったのと、何故か「自分の人生の本番は30歳以降だ」という思いがあったからなんですね。

 

そして30歳を過ぎ、心の安定は多少得られるようになったものの、自分が何をやりたいのかが全くわからず、その日暮らしを続けながら、暗中模索していました。

そうそう、わたしは高校生の頃から、結婚願望、子どもを持ちたい願望が全くなく、「結婚して玉の輿」というのは選択肢になかったのですが、かといって「キャリアウーマン願望」もなく、目先の日銭を稼ぐ仕事に従事してきました。

 

これまで10回くらい転職してきて、40代まではまだ比較的割のいい仕事にありつけたのですが、50代になり、無職でお金がどんどん減り、フルタイムの仕事は精神的・体力的に無理という状態で、どこかで見ないようにしていた将来に対する不安に、ある日向き合うことになりました。2020年春ごろだったと思います。

そのときの気持ちは、「どっぷり絶望感」「お先真っ暗」という感じ。

「ああ、死にたいっていう人はこういう感じなのかな・・・」と思いました。未来が良くなる展望を描くことができないんですね。でも、そのときわたしはダイレクトに「死にたい」と思ったわけではありませんでした。ヘタレな性格なので、死ぬ勇気なんてないのです。

 

それで底を打ってからはそういう気持ちになることはありませんでしたが、その後一度、「何にもする気になれない日」があり、食事とトイレ以外はソファに横たわり、ひたすら「ヒーリング動画」を流し続けるということをしてました。とにかく体が重かったのを覚えています。完全なるうつ状態です。

それもその日1日だけで済み、再度そこまで落ちることはありませんでした。

 

今は、「ま、サイアク生活保護になってもいいじゃん」くらいに思えています。2020年当時は、「生活保護を受けるには、まず持家を処分しないといけない。売れるうちに売っておかないと売れなくなるかもしれない」と深刻に考えていましたが、それも今は気にしていません。

そんな風に前向きになれるキッカケをくれたのが、吉濱ツトムさんでした。

(つづく)