「スピ好き高学歴ダメ人間」が精神障害者を止めて前向きに生きる話

人生終盤ですが、希望を持って進んでいきます♪

アニータ・ムアジャーニさんの臨死体験に改めて感動する②

(つづき)

「わたしはあらゆるものであり、あらゆるものがわたしでした。これはとても説明しにくいんです。説明する言葉というものが存在しないんですから。本当は分離なんてないんだ・・・、分離の感覚は、わたしたちが肉体存在に入り、思考を通して世界を見るために生まれるんだ・・・、という感じでした。もっと言えば、『分離とは思考のことだったんだ』という感じです。

そこにはすばらしい明晰さがあったのですが、それは思考の明晰さではなく、思考でない何者かが『気づき』の働きをしているようでした」

「自我と思考は同じものだと感じられました。だから、思考を超えたその意識状態では、自我もなく、執着もなく、すべてが一体でした」

 

「犯罪や病気は、みんな1つのことから起こるんです。それは、心が『根源的実在』から分離して病気になったために起こり、心がその分離をどうとらえるかによって起こるんです。わたしたちは、思考の外に立つことさえできれば、何も問題がなくなります。わたしたちは完璧なんです。不完全さも思考の産物なんです。批判もそうだし、何もかもそうです。ところがわたしたちは、思考を始めた途端に、分離についてあれこれ考え、理解しなければ、と思ってしまいます。でも、すべての問題は思考から来てるんです」

 

「あの意識状態の時、わたしはあらゆるものと一体だと感じてはいましたが、同時に自分を『根源的実在』とは別の一存在として意識していたようでした。わたしにはわたし自身の進化過程があるのでしょう。それは、『わたしにはこの個別意識があり、それは真実の自己ではないんだけれど、わたしはそれをできるかぎり進化させる義務がある、でも、わたしは思考の外に立って、その個別意識を眺めている』という感じでした」

 

「肉体の中にいる時は、わたしたちは個別意識の中にいて、外の世界を見ています。そのため、すべてのものの個別感が、明白な、疑いのないものに思えてしまいます。個人の問題も、世界の問題も、みんな、思考を自分だと思っているために起こるんだと気がつきました。それは幻想なんです。個別意識というのは幻想なんです」

「わたしたちはいつでもこの幻想から目覚めることを選べるのだとわたしは思います、そして、もし自分が目覚めれば、それが広がって、まわりの人たちも変わります。そして、わたしたちはこの世で生を営みながら、幻想に巻き込まれないことも選べるんです。幻想を幻想と知りながら、現象としての自分を表現していくことも選べるんです」

 

「世の中には、こういう意識変革が起こるにふさわしい心理状態の人たちが、きっといるはずです。そしてその人たちは、そういう意識変革を起こすために、臨死体験をする必要はありません。彼らが必要なのは、たぶん、何が可能かに気づくことだけです」

「心を広げてそういう気づきを自分の現象界に受け入れられるようにしていると、自分の内部にも、そういう意識変革を引き起こすような働きが生まれてくるんじゃないかと思います。そういう奇跡が起こるのを見るためには、だれもが臨死体験のような激烈なことをしなければならないというものではないと思います。

たぶん、意識変革を妨げている色々な思い込みを手放すだけでいい。この人生が幻想だと思える意識状態から見ると、幻想世界が成り立っているのは、わたしたちが特定の思い込みに執着しているからだという気がしました。たぶん、わたしたちを縛っている思い込みに目を向けて、それを手放す気があれば、わたしたちは集合意識としての進化をもっと速めることができるんじゃないでしょうか」

(つづく)