「スピ好き高学歴ダメ人間」が精神障害者を止めて前向きに生きる話

人生終盤ですが、希望を持って進んでいきます♪

パラレルワールドと注意制御機能

(つづき)

吉濱さんの著書『アセンションパラレル』から要点をかいつまんでまとめてみます。

 

・そもそも「この世界はひとつである」という解釈は、物理学上、限界に到達している。その解釈だけでは、この世に起こるあらゆる奇跡に説明がつかなくなっている。科学者たちはついにその存在を見つめざるを得なくなってきた。それがパラレルワールドパラレルワールドにはそれぞれの宇宙がある。が、それらは単独ではなく、すべてつながっている。そして、その世界間を我々は自由に移動(シフト)できる。これがこの世の真実。

・あらゆる可能性を生きている「自分」がパラレルワールドとして無数に存在している。「本当はこう生きたい」と思っている人生も、すでにひとつのパラレルワールドとして存在している。だから、それを選べば望む未来を手に入れることができる。

・現実生活の中で、制限や不自由を感じて、そのせいで「やりたいことがやれない」「好きな未来が選べない」と思っているかもしれないが、制限・不自由に満ちた世界は幻想であり、ひとつのパラレルワールドに過ぎない。もっとすばらしいパラレルワールドはいくらでも、すぐそばにあるので、自由に選ぶことができる。

 

・パラレルシフト=アセンションパラレル(理想の未来を生きる自分がいる世界)への移動を可能にする一つのやり方は、「理想の未来を思い描くこと」。

・それが具体的にイメージしにくい場合、脳科学の用語である「注意制御機能(ACF)」を鍛えて、注意を自然とポジティブなものに向け、良いパラレルワールドを自動的に選択してしまう「感覚」を身に着けるようにするとよい。

・理想のパラレルワールドを選ぶのは本来簡単なことだが、そうなっていない人が多いのは、人間を含むあらゆる動物の脳は、身を守るために、「危険なもの、不快なもの、ネガティブなものに真っ先に注意を向ける」性質があるため。

・だから、注意をポジティブなものに自然に向けられるようにACFを訓練すること。

 

・・・ということなのですが、本書の20~42pで「パラレルワールドの実在」についての根拠がいろいろ述べられていて、購入当時には「そうなのかな」と読み流していたところを改めて深く読み込んでみたところ、ちょっと説明がピンと来ないところもあり、この部分についてはすっきりしない感じになりました。なのでちょっと調べものしてみます。

 

Wikipediaの「パラレルワールド」から抜粋します。

パラレルワールド(Parallel universe, Parallel world)とは、ある世界(時空)から分岐し、それに並行して存在する別の世界(時空)を指す。並行世界、並行宇宙、並行時空とも言われている。(中略)理論物理学の世界でもその存在の可能性について語られている。

・例えば、量子力学多世界解釈や、宇宙論の「ベビーユニバース」仮説などである。(中略)ただし、多世界解釈においては、パラレルワールド(他の世界)を我々が観測することは不可能でありその存在を否定することも肯定することも出来ないことで、懐疑的な意見も存在する。

 

ということらしいんですね。本書でも「多世界解釈」も根拠の一つに挙げていましたが、一応まだ仮説の段階で賛否あるという状況です。

ただ、16世紀にコペルニクスが「地動説」を唱えたとき、それまでの天動説が持っていた矛盾を解消できる理論であったにも関わらず、実用上の難もあり、科学的(経験的、実際的である態度)とは言えなかったようで(それでも支持者はいた)、その後17世紀に「近代科学の父」と呼ばれるガリレオ・ガリレイが精度の高い望遠鏡を作成して様々な観測をした結果、地動説の正しさが示されることになったということがあります(それでもまだ惑星の軌道が円だと主張していて、後にケプラーが楕円軌道だということを証明しても認めなかったので、ガリレイに「真実を追求するために邪魔だった固定観念もしくはプライド」があったみたいです)。

 

現在の理論物理学で提唱される「多世界解釈」も、批判が多くあるようですが、一方で

量子力学を拡張した場の量子論においても多世界解釈は同様に成立する。まだ未完成であるが量子重力理論に対しても多世界解釈が用いられている」

宇宙論的なマルチバースと、量子力学の多世界は同等なものであり、同じ現象の別の側面だという説」

というように、この理論の有用性が支持されているので、将来的には「コペルニクス的転回」が起こって主流になっているかもしれません。

(参考:wikipedia「ニコラウス・コペルニクス」「地動説」「ガリレオ・ガリレイ」「ケプラーの法則」「多世界解釈」)

 

本書には「この世はマーヤ(幻想)である」というブッダの言葉を引用して「この世界はホログラフィー(幻影)である」という指摘や、「生きることは『あつまれどうぶつの森』や『マインクラフト』のような自由度の高いゲーム」という記述がありますが、そこにプラスしてパラレルワールドという概念を入れなくても、個人的には理解しやすいです。

わたしはいわゆる「覚醒体験」はしていませんが、独自の体験があるために(後述します)、上記のような世界観には抵抗はありません。しかし、これまでその体験をうまく現実の人生に活かすことができていなかったんですね。

そこに、吉濱さんの言う「注意制御機能」という視点に出会って、日常的にポジティブなことに意識を向けるという発想がまるでなかったことに気づきました。・・・とはいえ、気づいたからすぐにどうこうできたか、というとそうでもなかったんですけどね(苦笑)。

 

次の記事では、本書から「どのように注意制御機能を訓練すればいいのか」を引用して見て行きます。

(つづく)