「スピ好き高学歴ダメ人間」が精神障害者を止めて前向きに生きる話

人生終盤ですが、希望を持って進んでいきます♪

ノスとノウス、そしてヌーソロジー

(つづき)

オコツトは「あなたがたが持っている科学技術は決して自然と調和することはできない」と言います。以下にポイントをまとめます。

 

・科学と生態系は逆向きの力(ノスとノウス)で動いているので、科学技術がいくら進歩しても、科学は自然を破壊していく方向にしか働かない。

・真の破壊とは、人類が創造行為と思い込んでしまっているもの、つまり、事物の多様化や情報の無限増殖にある。科学は目の前に与えられた自然を分析し、それに伴い多種多様な言葉を作り出すが、その知識体系が膨らめば膨らむほど、人間にとって最も重要な精神原理が失われていっている。

・しかし、人類が作り上げてきた知識体系や創造活動が無意味というわけではなく、それらの究極の目的は、得られる知識自体にあるのではなく、それらの知識に根本的な刷新を与えること、つまり、物質的知が精神的な知へと変容するところにある。

・物質的な知識自体の中に、その知識自らを変容させる力が内在している。

・21世紀以降、現在のテクノロジーはさほど重要な意味を持たなくなる。物質という概念は人間型ゲシュタルトが作り出している。このことが様々な問題の元凶となっている。人間型ゲシュタルトは宇宙を部分に分け、個体という幻想を作り、精神進化を抑制しようとしている。

・個別化があまりに極端になると、人間は外部注入的な形でしか全体性の秩序を保てなくなる。これは、倫理や道徳と呼ぶものの問題が単なる法律の問題として置き換えられていくことを意味する。一見、自由で平等を分かち合う社会のように見えても、そこに真の自由や平等を築くことは不可能。これらは外部注入型による権力支配や管理、監視といったネガティブな側面を助長せざるを得ない力学を裏側に持っている。

 

いやぁ、めっちゃ染みます。特に最後の部分が深く頷けるものがありました。

理想の社会を作ろうとして法整備に一生懸命になっても、その延長にはそれはやってこないということなんですね。過去に、「自由や平等」を叫ぶ人たちが往々にして「被害者ポジションで仮想敵に抗っている様」をいろいろと見てきて、自分も一時その沼にハマって散々「正義の戦いドラマ」を演じ、鑑賞してきて何も得なかった身としては、そこまで言い切ってもらえて清々しい思いです。

というか、すでにこの本を読んだ後にもそんなことをやっちまったので、当時は内容がきちんと腑に落とせてなかったんですね。まぁこれも「地球ならではの体験」ということで、ご愛嬌です(テヘペロ)。

 

話を戻して・・・。

半田さんは、オコツトから伝えらえる言葉は漢字に当てはめて翻訳していましたが、この「ノスとノウス」だけは当てはめることができず、「磁極のNとS、磁気中心のO」を使って「NOS」と「NOOS」と解釈しました。

「ノウス」は「NOUS」とすべきところを、「N→SとS→Nの2つの流れに対する磁気中心Oが2つある」という解釈でそのようにしたのと、そうすると読みとしては「ヌース」になるが、「古代ギリシャの哲学者たちが使用したヌースという言葉と同じスペル」で、それは「霊的知性や宇宙的知性の意味が与えられている」ということで、以降は「ヌース」、そしてその学問を「ヌーソロジー」と称してします。

 

半田さんは本書の出版(1997年)以前からこのヌース理論について広める活動をし、1993年には健康グッズ(サプリ、化粧品、寝具など)をヌースエネルギーを使って開発・販売する会社を立ち上げ、今年で30周年を迎えています。(この商品がね、なかなかにお財布にお優しくないので、シールを買ったくらいで本格的には試したことはありません)

また、2022年には武蔵野学院大学に「ヌーソロジー研究所」が設立されたとのことで、着実に裾野を広げているようです。

もし興味があったら覗いてみてください。

 

ヌースアカデメイア

https://noos-academeia.com/#top

ヌースコーポレーション

https://noos.co.jp

武蔵野学院大学ヌーソロジー研究所情報

https://note.com/nooswave/m/m0c239b4776f1